■ 2. 突然の宣告。我が子からの
「お父さんは送りだけにして」
丸坊主にし、自分でバリカンを握ることで、私は薄毛の悩みとうまく付き合っているつもりでした。
鏡に映る自分の頭は見慣れていましたし、これ以上傷つくこともないだろうと、どこかで諦めと割り切りを持っていたのです。
しかし40代半ばのある日、その平穏は最も残酷な形で打ち破られました。
交互に行っていた「送り迎え」の異変
当時、私たち夫婦は共働きだったため、お互いの仕事のタイミングを合わせながら、保育園の「送り」と「お迎え」を交互に行っていました。
しかし、ある時期から突然、子供が不思議なことを言い始めたのです。
「お父さんは『送り』がいい。
お迎えは『お母さん』にして」
妻は時短勤務だったこともあり、最初は「お母さんの方が甘えられるからかな」くらいに思い、特に深く気に留めていませんでした。
「どうして今日は、、、」
そんなある日、どうしても妻の都合がつかず、私が代わりに迎えに行かなければならない日がありました。
久しぶりにパパがお迎えに来て喜んでくれるかと思いきや、私の姿を見た子供の口から出たのは、予想外の言葉でした。
「どうして今日はお父さんなの?」
明らかに嬉しそうではない子供の様子に違和感を覚え、私は帰り道で優しく理由を尋ねてみました。
「なんでお父さんのお迎えじゃ嫌なの?」と。
小さな口から返ってきたのは、私の胸を鋭くえぐる言葉でした。
「お父さんがハゲてるって、周りの友達から言われるのが嫌だから……」
親としての絶望、そして「本物」を探す執念へ
頭が真っ白になりました。
言葉が出ませんでした。
正直、ショックなんて言葉では言い表せないほどの絶望でした。
自分のことであれば、30年間ずっと耐えてきたのでいくらでも我慢できました。
坊主頭も見慣れていました。
しかし、「自分がハゲているせいで、何の罪もない愛する息子が、保育園で友達からからかわれ、肩身の狭い思いをして傷ついている」
という事実を知った時、親として情けなさと申し訳なさで、目の前が暗くなるような絶望感を味わいました。
一時は「なんでそんなことを言うんだ」と、理不尽な現実にヤケになりそうな瞬間もありました。
しかし、そこで私の30年間のコンプレックスが、別の巨大なエネルギーに変わったのです。
「自分のせいで、これ以上子供に悲しい思いはさせられない。格好悪いパパのままで終わってたまるか」
中学生の時からずっと「ハゲは治らない」「遺伝だから仕方ない」と諦めていましたが、この日を境に、私は「慰め気休めの育毛剤」ではなく、
「本当に、科学的に髪が生える本物の薬はないのか」を、執念深く探し始めることになったのです。
次回、第3章へ続く。
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