第1章:中学生からの30年の苦悩、サクセス、床屋でのトラウマ、丸坊主、セルフカットの歴史。

執筆者:

カテゴリ:

■ 1. 中学生からの30年間。私の人生は常に「薄毛のコンプレックス」と共にあった

私の薄毛の悩みは、50歳になった現在から今を遡ること30年以上前、「中学生」の時に始まりました。

始まりは、同級生の女の子に言われた「サクセス」の一言。

それまで「おかっぱ頭」だった私は、中学生になったタイミングで髪型をスポーツ刈りに変えました。

その時、同級生の女の子からからかい半分で言われた言葉が、今でも耳に残っています。

「サクセス!」

当時流行っていた育毛剤のCMをもじって、彼女は私の頭をくしゃくしゃと触ってきました。

中学生の当時はまだ遊び半分で受け流していましたが、年齢を重ねるにつれ、「あの時の言葉はそういう意味(すでに薄かった)だったのか……」と、胸に深く突き刺さる呪いのような言葉に変わっていきました。

私の父親はいわゆる「ハゲ」でした。

遺伝の恐怖もあり、この日を境に、私は自分の頭頂部や生え際を少しずつ意識せざるを得なくなっていったのです。

追い打ちをかけた、床屋での「良かれと思った大人の残酷さ」

さらに私を追い詰めたのは、当時通っていた床屋での出来事でした。

カットが終わり、最後に理容師のおじさんが良かれと思って私の頭に吹き付けたもの。

それが、まさにあの「育毛剤」でした。

頭皮に染み渡る特有の清涼感と香りが、中学生の私にはあまりにも残酷でした。

「大人から見ても、俺の頭はもうそういう風(ハゲ)に見えているんだ……」

店を出た後、周囲に育毛剤の匂いが漂っている気がして、恥ずかしさとショックで押しつぶされそうになったのを今でも鮮明に覚えています。

兄の髪をカットした時に知った、圧倒的な「髪の質の差」

コンプレックスが決定的なものになったのは、身近な存在である「兄」との比較でした。

あきらかに兄に比べて、自分の方が髪の分け目が目立つ。

当時、私はよく兄の髪をカットしてあげていたのですが、ハサミを入れるたびに絶望的な違いを肌で感じていました。

兄の髪には、圧倒的な「張り(ハリ)」とボリュームがある。それに比べて、自分の髪のなんと細く、頼りないことか。

他人の髪をこの手で触ったからこそ分かってしまった「決定的な質の差」は、十代の私に深い影を落としました。

整髪料で固める日々、そして大学4年生での「丸坊主」という選択

中学3年生の頃には、髪の毛がナチュラルな(何もしていない)状態であることに強い嫌悪感を抱くようになっていました。

風が吹いて髪が乱れれば、すぐに薄さが露呈してしまう。

だから、毎日整髪料でカチカチに固めてごまかすしかありませんでした。

それから大学3年生になるまで、私は髪を長く伸ばすことを一切やめ、とにかく短髪で過ごしました。

しかし、ごまかしにも限界が訪れます。

大学4年生の時、私はついに覚悟を決めて「丸坊主」にしました。

薄毛が目立つくらいなら、いっそすべて無くしてしまおう。

それは諦めでもあり、自分なりの必死の抵抗でもありました。

「美容院に一度も行ったことがない」人生へ

中学生の時のあの床屋でのトラウマもあり、私は高校生からお店に行って髪を切ってもらうことすら完全にやめました。

鏡の前で他人に髪を触られ、薄毛を直視され、値踏みされるようなあの空間が苦痛で仕方がなかったのです。

自分でバリカンとハサミを買い、自分の頭は自分で刈る。

この習慣は、50歳になった現在も続いています。

そのため、私は人生で一度も「美容院」という場所に行ったことがありません。

そんな、丸坊主でごまかし、自分でバリカンを握り続けて30年以上。

深いコンプレックスの塊だった私が、40代半ばにして「ある事件」をきっかけに、ついに本気で病院での投薬治療へと動くことになります――。

第2章はこちら

コメント

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です