カテゴリー: AGA治療体験記

  • 最終章(まとめ):一歩を踏み出すのに「遅すぎる」ことはない

    最終章(まとめ):一歩を踏み出すのに「遅すぎる」ことはない

    30年間悩んだ私が、最後にどうしても伝えたいこと

    中学生の頃、女の子から薄毛をからかわれたこと。
    床屋で感じた恥ずかしさ。そして大学4年の頃、最終的に丸坊主にしたこと。

    このブログでは、薄毛に悩み始めてからAGA治療を受け、現在に至るまでに私が経験したことを、できるだけありのまま書いてきました。

    薄毛に悩んだことがない人には、なかなか伝わりにくい感覚があると思います。

    その一つが、「一度整えた髪型を崩したくない」という気持ちです。

    髪が乱れてもすぐに直せる人にとっては、風で髪が動くことも、水に濡れることも、それほど大きな問題ではないのかもしれません。

    しかし、薄毛を目立たなくするように整えた髪は、一度崩れると簡単には元へ戻せません。

    着替えるときは、服が髪に触れないように気を付ける。雨や水に濡れることを避ける。帽子は髪が潰れるので極力かぶらない。気に入った服を見つけても、試着で髪型が崩れないかを先に考える。

    風の強い日には、髪がどちらへ動くかまで気にしていました。

    他の人にとっては何でもない日常の動作が、私にとっては常に髪の状態と結び付いていたのです。

    また、なぜか人は、他人の薄毛や髪の状態を話題にすることがあります。

    「あの人はハゲている」
    「あれは絶対にカツラだ」

    自分に向けられた言葉ではなくても、その話を聞くたびに「自分も陰では同じように言われているのではないか」と考えていました。

    髪型が崩れること。薄毛が目立つこと。それを誰かに見られ、本人のいない場所で話題にされるかもしれないこと。

    そうした不安から逃れようと、私は大学4年の頃に坊主頭を選びました。

    坊主にした瞬間、確かに解放感がありました。

    朝から髪を整えなくてもいい。風や雨を気にしなくてもいい。髪型が崩れる心配をしなくていい。

    それと同時に、髪を伸ばすことも、髪型を選ぶことも、自分にはもう関係のないものとして手放した感覚もありました。

    私にとって坊主は、解放であると同時に、一つの諦めでもありました。

    坊主にしてから、再び薄毛が気になり始めるまで

    ここは、今回改めて正確に書いておきたい部分です。

    大学4年で坊主にしてから35歳頃までは、薄毛についてほとんど気にせずに過ごしていました。

    坊主という髪型が自分の中で定着し、髪型を崩さないように守る必要もなくなったことで、長年抱えていた煩わしさから一度は離れることができたのです。

    しかし35歳頃から、薄毛がさらに進んでいることを徐々に意識するようになりました。進行するにつれて、バリカンのアタッチメントは少しずつ短くなっていきました。

    最初は6mm。次は4mm、3mm、2mm。そして、気が付けば一番短い長さで刈るようになっていました。
    坊主であっても、薄い部分を少しでも目立たなくしたかったからです。

    一度は気にならなくなっていた薄毛が、年齢とともに再び自分の中で大きな問題になっていきました。

    「どうせ遺伝だから仕方がない」
    「もう年齢的にも遅い」

    そう自分に言い聞かせながら、再び悩みを心の奥へ押し込めていました。

    その状況と向き合うきっかけになったのが、我が子から言われた「お迎えに来ないで」という一言でした。

    本当に変わるのだろうか。オンライン診療だけで大丈夫なのだろうか。副作用はないのだろうか。費用を払い続けられるのだろうか。

    不安はたくさんありました。

    それでも、騙されたと思って診療を申し込みました。

    あの時の小さな一歩が、私の人生を大きく変えることになりました。

    治療を始めて約5年、本当に変わったこと

    治療を始めてから約5年が経ちました。

    以前と比べると、私自身は髪の状態に大きな変化を感じています。

    ただ、もともと私は猫っ毛で、髪にコシがあるタイプではありません。今でも水に濡れたり、試着で何度も服を脱ぎ着したりすれば、髪型が気になることはあります。

    治療によって、すべての悩みがなくなったわけではありません。
    それでも、以前とは決定的に違うことがあります。
    普通に生活する中で、人目を気にする時間が圧倒的に少なくなりました。

    以前は、周囲に薄毛の人がいない環境ほど「自分だけが見られているのではないか」と考えていました。誰かが薄毛やカツラについて話しているだけで、自分のことを言われているような気持ちになることもありました。

    今では、そのように受け止めることはほとんどありません。
    私にとって一番大きな変化は、単に髪の毛が増えたことではなく、長年自分を縛っていた「人目を気にする時間」が大きく減ったことです。

    だから私は、この経験によって「人生が180度変わった」と感じています。
    治療前の写真を友人や知人に見せると、「本当に同じ人なの?」と驚かれることがあります。

    私自身は毎日鏡を見ていたため、変化は少しずつのものでした。
    しかし、久しぶりに会う人の反応から、自分では気付いていなかった変化を改めて感じることもあります。

    治療前から現在までの変化

    写真は撮影時期、角度、照明、髪の長さなどの条件が異なります。治療前の頭頂部写真が残っていないため、当時の正面写真と、治療開始後の頭頂部写真を時系列で掲載しています。

    日付表示以外、髪や頭皮の加工・修正は行っていません。厳密な比較ではなく、私個人の記録としてご覧ください。

    治療開始後に記録していた頭頂部の写真です。撮影条件は異なりますが、当時の写真を撮影日の順に並べています。

    治療前の2019年と、現在の正面からの印象です。頭頂部の写真とは角度が異なりますが、髪型を含めた全体の変化を伝えるために掲載しています。

    私の場合、治療を始めてから徐々に変化を感じるようになりました。
    もともとの髪質や薄毛の進行状況、治療内容などによって、結果には個人差があります。

    それでも私自身は、薄毛が気になり始める前の状態に近づき、現在まで大きく変わらない状態を維持できていると感じています。

    髪だけではなく、生活も変わりました

    治療を始めてから変わったのは、髪の状態だけではありませんでした。
    私にとって象徴的だったのは、長い間避けていた黒い服を、再び自然に選べるようになったことです。

    薄毛が目立つようになってから、私は服だけでなく、靴やバッグでも黒を避けていました。髪とのコントラストが強くなり、薄毛が余計に目立つような気がしていたからです。

    髪への不安が小さくなるにつれて、服選びも変わりました。
    さらに、体を鍛え直そうと思うようになり、しばらく離れていたゴルフも再開しました。

    AGA治療だけが、こうした変化のすべての理由だったとは言えません。それでも、外見への不安が小さくなったことが、新しいことへ挑戦する後押しになったのは間違いありません。

    治療を続ける中で感じた費用の問題

    最初のクリニックでは、診察や経過確認を受けながら治療を始めました。

    治療経験がなかった当時の私にとって、定期的に頭部の写真を送り、状態を確認してもらえることは大きな安心材料でした。

    一方で、治療を続けるにつれて、「この費用をこの先も払い続けるのだろうか」という現実的な悩みも大きくなりました。

    そこで2024年4月、思い切って、別のクリニックへ換えることを決断しました。

    現在は6か月分をまとめて購入しています。手元に残っている購入記録では、薬代38,346円と送料550円を合わせ、合計38,896円(税込)でした。

    1か月あたり約6,480円です。

    薬の名称は以前と同じくミノキシジルとデュタステリドですが、製造元や錠剤の形状など、すべてが同じという意味ではありません。

    乗り換えるときは不安もありました。しかし、少なくとも私自身が日常生活の中で確認する範囲では、現在まで大きく変わらない状態が続いています。

    詳しい乗り換えの経緯と支払記録は、第6章に掲載しています。

    2つのクリニックを利用して感じたこと

    私が利用した2つのクリニックには、それぞれ違いがありました。

    最初のクリニックには、経過を確認してもらいながら治療を進められる安心感がありました。一方、現在のクリニックでは、診察後の経過確認がない分、継続費用を大きく抑えられています。

    どちらがすべての人に適しているかは、私には判断できません。

    費用だけでなく、診察方法、経過確認の有無、処方内容、副作用やリスクの説明なども含め、自分が納得できる医療機関を選ぶことが大切だと感じています。

    現時点では、どちらのクリニックとも広告契約やアフィリエイト提携はありません。そのため、このブログではクリニック名や申込リンクを掲載していません。

    今後、掲載方法や提携関係に変更があった場合は、その関係を明記した上で情報を更新します。

    なぜ、このブログを書いたのか

    もっと早く治療を始めていればよかった。

    今は素直にそう思います。

    一方で、当時の私は治療についてほとんど知りませんでした。費用や副作用への不安もあり、「ネットの治療は信用できない」という思い込みもありました。

    だから行動できなかったことも含めて、私自身の経験です。

    AGA治療を受けるかどうかに、一つの正解があるとは思いません。治療を受けない選択もあれば、費用やリスクを理解した上で治療を検討する選択もあります。

    私が伝えたいのは、思い込みだけで可能性を閉ざさないでほしいということです。

    相談したからといって、必ず治療を始める必要はありません。
    説明を聞いた上で、「自分には合わない」と判断することも一つの選択です。

    このブログでは、良かったことだけではなく、副作用への不安、毎月の費用、治療を続ける葛藤、クリニックを変更した理由も書いてきました。

    これは、治療を勧めるためのブログではありません。

    私が長年悩み続ける中で知りたかったことと、実際に経験したことを残し、同じように悩んでいる方が自分自身で判断するための材料にしてもらうための記録です。

    もし今、かつての私と同じように悩んでいる方がいるなら、この記録が一度立ち止まって考えるきっかけになれば、それ以上うれしいことはありません。

    AGA治療の記録を最初から読む

    初めてご覧になる方は、第1章から順番にお読みいただくと、治療を決意した理由から現在までの変化を時系列でご覧いただけます。

    今後、治療経過や費用、掲載内容に変更があった場合は、この記事にも追記します。更新情報をご希望の方は、50tryのLINE公式アカウントから受け取ることができます。

    医療情報について

    私は医師や医療従事者ではありません。

    この記事は、私自身の治療経験と、手元に残っている写真や購入記録をもとに作成しています。治療効果や副作用には個人差があり、同じ結果が得られることを保証するものではありません。

    また、特定の治療方法や医療機関を推奨することを目的とした記事ではありません。

    治療を検討される場合は、医療機関で診察を受け、治療内容、費用、リスク、副作用について説明を受けた上で、ご自身で判断してください。

  • 第6章:終わりのない固定費への疑問、そして2024年4月の大きな決断

    第6章:終わりのない固定費への疑問、そして2024年4月の大きな決断

    ■ 6. 名前は同じ、形は違うという不安

    毎月の固定費に悩み、「治療内容を変えたらどうなるのか」と考え始めていたある日のことです。

    スマホでSNSを見ていると、別のクリニックの広告が目に入りました。

    私がそれまで処方されていたのは、ミノキシジルとデュタステリドでした。
    その広告にも同じ二つの名称が記載されていましたが、料金は、それまで支払っていた金額と比べて驚くほど安いものでした。

    当時、私が調べた範囲では、フィナステリドを扱うクリニックは比較的見つけやすかった一方、デュタステリドを選択できるところは、それほど多くなかったように記憶しています。

    そのため、同じ二つの名称が並んでいる治療プランを見つけたことに、強く興味を持ちました。

    しかし、詳しく見てみると、それまで飲んでいた薬とは錠剤の形が異なっていました。

    もちろん、ミノキシジルとデュタステリドという名称が同じでも、含有量や製造元、薬の仕様まで同じとは限りません。
    当時の私には、そこまで判断できませんでした。

    現在、私が実際に服用しているAGA治療薬です。

    目の前にある錠剤の形の違いが、そのまま大きな不安になりました。

    「本当に今までと同じように維持できるのだろうか。安さだけで選び、変えた途端にまた髪が抜け始めたらどうしよう」

    せっかく手に入れた平穏を失うかもしれない。
    そう考えると、簡単には決断できませんでした。

    一方で、毎月続く金銭的な負担を考えれば、診察を受けて詳しく確認してみる価値はあるとも感じました。

    そして2024年4月、私は新しいクリニックのオンライン診療を受け、乗り換える決断をしました。

    第4章で、当時の費用を「25,000円くらい」と曖昧に表現していたのは、この乗り換えによって、現在支払っている金額が大きく変わったためです。

    別のクリニックでの初診

    新しいクリニックのオンライン診療が始まると、医師からは、過去に治療経験があるため、治療の仕組みやリスクについては理解しているか、という趣旨の確認がありました。

    そのうえで、治療に伴うリスクや副作用について、改めて説明を受けました。

    価格が大きく違うことに不安を感じていましたが、オンライン診療で医師から説明を受けたことで、乗り換えに対する不安は少し和らぎました。

    ただし、この時点で薬の品質や効果が以前と同じだと判断できたわけではありません。

    実際に服用を始め、その後の変化を見ていくまでは、まだ不安が残っていました。

    6か月分で38,896円

    乗り換え後は、継続する中で6か月分をまとめて購入するプランも利用しました。 手元に残っている購入明細では、6か月分の薬代38,346円と送料550円を合わせ、合計38,896円(税込)でした。 1か月あたりに換算すると、約6,480円です。 毎月2万円以上支払っていた頃と比べると、負担は3分の1以下になりました。

    実際に6か月分を購入した際の支払記録です。個人情報およびクリニック名は画像上で伏せています。

    あまりの金額差に驚く一方で、「本当にこのまま維持できるのだろうか」という不安は、すぐには消えませんでした。

    乗り換え後の結果

    形状の違う薬へ変更したため、最初の数か月は「本当に大丈夫だろうか」と身構え、毎日のように鏡を見ていました。

    しかし、少なくとも私が実感する範囲では、乗り換え後に急に抜け毛が増えたり、治療前の状態へ戻ったりするような変化はありませんでした。

    現在も、それまでと大きく変わらない状態を維持できています。

    もちろん、これは私自身の経験です。薬の効果や副作用、治療の経過には個人差があります。

    また、薬の名称が同じでも、含有量や製造元、剤形などが異なる可能性があります。
    治療内容を変更する場合は、価格だけで判断せず、医師から十分な説明を受けたうえで、ご自身で判断してください。

    最初のクリニックへの感謝

    私は、最初に治療を受けたクリニックにも心から感謝しています。

    薄毛の悩みから抜け出すきっかけを与えてくれたのは、間違いなく最初のクリニックでした。そこで治療を始めていなければ、今の私はありません。

    手厚い対応や安心感を重視するのか、継続しやすい費用を重視するのか。
    その基準は人によって異なります。

    私の場合は、治療を経験し、ある程度の知識を得たあとだったからこそ、費用を抑えた別の選択肢を検討できました。

    最初から同じ選択をしていたら、当時の私は不安を拭えなかったかもしれません。

    私にとっての月額約6,500円

    月々約6,500円。

    一般的な美容院1回分と同程度か、それより安い金額で、今の状態を維持し、薄毛の悩みに再び苦しまずに済むのであれば、私にとっては納得できる自己投資です。

    人生で一度も美容院に行ったことがなく、ずっと自分でバリカンを握ってきた私が言うのも変な話ですが、それでも現在の負担でこの状態を維持できていることには、大きな価値を感じています。

    30年間抱えてきた薄毛の悩みに戻ることなく、子どもの前で堂々と胸を張れる父親でいられる。

    私にとって、月々約6,500円は、そのために無理なく続けられる金額です。

    次回、最終章「まとめ」へ続きます。

    最終章「まとめ」はこちら

  • 第5章:光の裏にある影。5年間の継続者だけが知っている4つの代償と終わりのない葛藤。

    第5章:光の裏にある影。5年間の継続者だけが知っている4つの代償と終わりのない葛藤。

    ■ 5. 5年間で分かったリアルなデメリット。
    始める前に知っておくべき4つのこと

    2021年から治療を始め、5年目を迎えた現在。

    私は髪を維持し続けていますが、もちろん良いことばかりではありません。
    実際に身をもって経験したからこそ言える、リアルなデメリットや注意点をお伝えします。

    ① 【最重要】妊活中(子作り中)の方は使用できない

    これは初診のタイミングで、医師から最も厳しく、強い口調で言われたことです。

    AGAの投薬治療(特に内服薬)に含まれる成分には、お腹の赤ちゃんの成長に影響を及ぼすリスクがあるため、

    妊活中の方には絶対に使用できません。

    「もし目下子作りに励んでいる、あるいはこれから近い将来に妊活を予定しているなら、絶対に今は薬を処方できません」
    と医師から明確に釘を刺された時、この治療が単なるサプリメントではなく、身体に作用する

    「本物の医療」

    なのだと身が引き締まる思いがしました。
    もし該当する方は、まずはそちらを最優先し、子作りに集中されるべきです。

    ② 体毛が濃くなる(多毛症の副作用)

    薬の副作用として、髪だけでなく全身の体毛が少し濃くなりました。
    手の甲や腕など、「以前より少し毛深くなったかな」と感じる瞬間があります。

    ただ、私の場合はもともと体毛がそれほど濃い方ではなかったため、日常生活でそこまで気になるレベルではありませんでした。
    これも発毛成分が全身に行き渡っている証拠だと捉えています。

    ③ 頭皮の吹き出物ができやすくなった

    いつ頃からかははっきりと覚えていませんが、治療を始めてから頭皮に吹き出物やイボができやすくなったように感じます。

    これも個人差や肌質が影響する部分だと思います。
    私は両親共にイボが多かったですし、また、自身も若い頃、日焼けを気にする事なく過ごしていた事もあり、首周りや顔にもイボが多く、これも影響しているのではと思います。

    ただ、中学生から30年以上悩んできた「毛がない絶望」に比べれば、小さな吹き出物くらいは私にとっては本当に取るに足らない問題でした。

    ④ 最大の悩み:「やめるとどうなるのか」という恐怖

    そしてもう一つ、私に重くのしかかっていたのが、毎月約2万円という固定費でした。
    治療が安定して5年が経った今でも、心のどこかで常に付きまとっている最大の悩みがこれです。

    「もし、このまま薬をやめてしまったら、一体どうなってしまうのだろう」

    という、終わりのない恐怖です。
    一般的には「薄毛治療は薬をやめると元の状態に戻っていく」と言われています。
    しかし、本当にそうなるのかは私にも分かりません。
    なぜなら、怖くて長期的にやめてみたことがないからです。

    日々の生活の中で、一日二日ほど薬を飲み忘れたり、サプリメントを数日休んだりした程度では、何の問題も起きませんでした。
    だからといって薬を完全に断ってみようと思ったことは一度もありません。
    せっかく手に入れた髪が、あの地獄のような状態へ逆戻りしてしまうリスクを冒す勇気はなかったのです。

    しかし、やめる恐怖と同時に、私の頭にはもう一つの現実的な問題が重くのしかかっていました。

    「いつまで毎月の固定費を払い続ければいいのか」という、金銭的な継続の負担です。

    髪を維持するためには、払い続けるしかない。
    でも、この生活はあと何年続くのだろう。
    5年後も、10年後も。
    それとも、一生ーー。
    そう思い悩んでいた私の頭の中に、ある一つの疑問が浮かび上がりました。

    「やめるのが怖いなら……薬(クリニック)を変えたらどうなるのだろう?」

    薬の継続と、費用の問題。
    この切っても切り離せない2つの葛藤を抱えた私は、ついに一つの大きな決断を下すことになります。
    それまで3年近くお世話になっていたクリニックから、思い切って別のクリニックへと変更したのです。

    それが、2024年4月のことでした。

    次回、第6章へ続く。

    第6章はこちら

  • 第4章:半信半疑で始めたAGA治療

    第4章:半信半疑で始めたAGA治療

    この写真は2019年9月27日、旅行先で撮影したものです。
    この後はコロナ禍となり、しばらく旅行へ行く機会もなく、当時のような写真は残っていません。

    今見返すと、薄毛の状態がよく分かる一枚でした。当時はそこまで深く意識していませんでしたが、現在の自分から見ると、治療を始める決断につながる大切な記録だったと感じています。

    この写真を撮影してから約2年後、私は人生で初めてAGAクリニックの診察を受けることになります。

    ■医師の一言、そして2か月後

    コロナ禍のオンライン診療で受けた「人生最大の衝撃」

    2021年9月、

    「本当にネットのクリニックなんかで髪が生えるのだろうか……」

    最初は当然、強い疑いの目を持っていました。
    これまでに市販の育毛剤やSNSの怪しい広告で何度も裏切られてきたからです。
    しかし、子供のあの言葉が頭をよぎり、「騙されたと思って、一度診察だけでも受けてみよう」と決心したのです。

    あまりにも軽すぎた、医師の第一声

    当時は世の中がコロナ禍の真っ只中にいた時期でした。
    本来であればクリニックへ直接出向いて対面で診察を受けられるはずでしたが、時期が時期だったこともあり、オンライン診療を勧められました。

    「画面越しで本当にちゃんとした診察ができるのか?」

    というオンライン診療そのものに対する疑いは少なからずありましたが、その反面、わざわざ遠くのクリニックまで出向かなくても自宅からスマホひとつで受けられるという気軽さがあったのも事実です。

    そうして自宅の部屋でスマホを構え、画面越しに初診を受けることになりました。
    画面が繋がる直前まで、私の心臓は音を立てて波打っていました。
    カメラ越しに私の頭部を確認した先生は、こちらの緊張をよそに、とても簡単に、あっさりとこう言ったのです。

    「あー、生えますよ。」

    私は耳を疑いました。

    「なんでそんな簡単に?」

    不思議で仕方がありませんでした。

    なぜなら、私は中学生の頃から30年以上もの長い期間、人生の半分以上をこの頭のことで真剣に悩み続け、傷つき、諦めてきたからです。
    私のこれまでの深い苦しみと葛藤は何だったのか。
    拍子抜けすると同時に、画面越しのたった一言で解決するとは到底信じられず、当時の私はまだ半信半疑のままでした。

    処方された内容と気になる「費用」

    「無理やり高額なプランを契約させられるのではないか」

    そんな不安もありましたが、実際に提案された最初の処方内容は以下のようなものでした。

    ・内服薬(飲み薬)2種
    ・サプリメント
    ・シャンプー

    他にもいくつかプランがあったように記憶していますが、先生から「まずはこれだけで良いですよ」と言われました。

    拍子抜けするほどすんなりと治療がスタートしたのです。
    気になる費用は、当時で月々「25,000円くらい」でした。

    人生で一度も美容院や床屋にお金を払わず、自分でバリカンを握ってコストを削ってきた私からすると、毎月2万円以上の出費は、一見すると「高い」と感じる金額だったかもしれません。

    しかし、これまでの人生を支配していた30年以上の深いコンプレックスが本当に治るのであれば、決して高額ではない。
    そう思える絶妙な範囲でした。

    ※なぜここで「25,000円『くらい』」という曖昧な言い方をするのか。
    その重要な理由は、また後ほどお話ししたいと思います。

    一体何を悩んでいたのか、、、

    恐れていた初期脱毛もなし。

    そして、初診を受けた2021年9月から、わずか2ヶ月後のことでした。
    毎日、鏡の前でバリカンを握り、自分の頭皮を見つめ続けてきた私だからこそ、すぐに分かりました。

    「髪の毛が、明らかに生え始めている……!」

    当時撮影した写真がこちらです。

    本当にびっくりしました。

    それと同時に、胸の奥から込み上げてくるような、嬉しさと安堵の気持ちでいっぱいになったのを、今でも鮮明に覚えています。

    薄毛治療について調べる中で、薬の飲み始めに一時的に髪が抜ける「初期脱毛」という現象があることは知っていました。
    そのため、治療を始める前はとても心配していました。
    しかし、私の場合は初期脱毛が何も起こらず、拍子抜けするほど順調で、最高のスタートを切ることができたのです。

    クリニックへは毎月、経過観察としてLINEで写真を送りました。
    体調や頭皮の状態を確認してもらい、治療を継続するかどうかについても確認してもらえるため、安心して取り組むことができました。

    次回、第5章へ続く。

    第5章はこちら

  • 第3章:暗闇に挿した光

    第3章:暗闇に挿した光

    ■ 3. 失敗続きの過去と、YouTubeからの贈り物

    子供の言葉をきっかけに一念発起した私は、

    「本当に髪が生える方法」

    を模索し始めました。

    しかし、最初から正しい道にたどり着けたわけではありません。

    高級育毛剤、SNS広告……試しては挫折した暗黒期

    まずは手軽に始められる方法として、ドラッグストアへ走り、棚の中で「一番効果がありそう」に見える、比較的値段の張る育毛剤を片っ端から試しました。

    しかし、結果は一切の効果を望めませんでした。

    今だから分かりますが、それらはすべて「今ある髪を維持する、頭皮環境を整える」ための育毛剤であって、新しい髪をゼロから生やす発毛剤ではなかったのです。
    そんな知識もない当時の私は、ただただ無駄にお金をドブに捨て続けていました。

    さらに、当時はYouTubeやSNSを開けば「これを使えば生える」といったそれらしい広告が溢れていました。
    芸能人が愛用しているという宣伝文句や、劇的なビフォーアフターの画像を見るたびに、藁にもすがる思いでそのうちの一つを購入し、試してみましたが、結果は同様でした。
    それらの商品は、どれも朝晩に頭皮に直接塗布する必要があるものばかり。
    最初は必死に我慢して使っていましたが、塗った後はどうしても頭皮がベトベトになります。
    朝の忙しい出勤前に塗れば、日中もずっと頭が重く、汗をかけばベタつきが顔に降りてくるような不快感に一日中悩まされました。

    「こんなに嫌な思いをしているのに、1ミリも効果が表れない……」

    毎日忙しく働いている身としては、このベトベトに耐えながら、効果の出ない作業を継続することは精神的にも時間的にも限界でした。
    期待が大きかった分、裏切られた時の反動は大きく、結局は深い挫折感だけが残り、私は再び暗闇に取り残されてしまいました。

    ユニクロ紹介チャンネルと、一瞬の「映り込み」

    そんな、半分諦めかけていた矢先のことです。

    ネット動画を目的もなく眺めていた私は、たまたまYouTubeの「ユニクロのファッションコーディネート」を勧める人気のチャンネルを開いていました。
    普段から熱心にチェックしていたわけではなく、たまに見る程度のアカウントでした。
    いつものように洋服の紹介動画が流れる中、ふと、その投稿者の方が「実は、過去に薄毛で深く悩んでいた」という自身の体験を語り始める場面に出会ったのです。(ファッションに関心がある方なら、もしかしたら『あの人か』とピンとくるかもしれません)
    自分と同じ悩みを抱えていたという意外な過去の話を聞いているうちに、私の心は一気に引き込まれ、画面をとても注意深く見つめていました。
    その方は、自身のコンプレックスが解消された喜びをただ素真面目に話しているだけでした。
    何か特定のクリニックを宣伝(アフィリエイト)して誘導しているわけではなかったため、動画の中に商品名やクリニックの名前が直接言葉として出てくることはありませんでした。
    しかし、画面を凝視していた私の目は、動画の背景に、

    ほんの一瞬だけ映り込んだ「あるロゴマーク」を絶対に見逃しませんでした。

    今となってはその文字が具体的に何だったのかは忘れてしまいましたが、時間にしてわずか1秒にも満たない、本当に偶然の映り込みでした。

    「……今、何か映らなかったか? これって、会社名じゃないのか?」

    心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、私は動画を数秒巻き戻し、一時停止ボタンを押して画面を確認しました。

    「これだ。間違いない」

    私はその一瞬の文字を頼りに、ネットの検索窓へ打ち込んで執念深く検索をかけました。
    いくつかのページを辿った末、ついに、とある薄毛治療専門のクリニックの公式サイトへと行き着いたのです。
    それは、これまで見てきた怪しいSNS広告のどれとも違う、

    私の人生を変えることになる本当の入り口でした。

    次回4章へ続く。

    第4章はこちら

  • 第2章:共働きの中での保育園お迎え事件、子供の言葉、親としての絶望と一念発起。

    第2章:共働きの中での保育園お迎え事件、子供の言葉、親としての絶望と一念発起。

    ■ 2. 突然の宣告。我が子からの
    「お父さんは送りだけにして」

    丸坊主にし、自分でバリカンを握ることで、私は薄毛の悩みとうまく付き合っているつもりでした。

    鏡に映る自分の頭は見慣れていましたし、これ以上傷つくこともないだろうと、どこかで諦めと割り切りを持っていたのです。

    しかし40代半ばのある日、その平穏は最も残酷な形で打ち破られました。

    交互に行っていた「送り迎え」の異変

    当時、私たち夫婦は共働きだったため、お互いの仕事のタイミングを合わせながら、保育園の「送り」と「お迎え」を交互に行っていました。

    しかし、ある時期から突然、子供が不思議なことを言い始めたのです。

    「お父さんは『送り』がいい。

    お迎えは『お母さん』にして」

    妻は時短勤務だったこともあり、最初は「お母さんの方が甘えられるからかな」くらいに思い、特に深く気に留めていませんでした。

    「どうして今日は、、、」

    そんなある日、どうしても妻の都合がつかず、私が代わりに迎えに行かなければならない日がありました。

    久しぶりにパパがお迎えに来て喜んでくれるかと思いきや、私の姿を見た子供の口から出たのは、予想外の言葉でした。

    「どうして今日はお父さんなの?」

    明らかに嬉しそうではない子供の様子に違和感を覚え、私は帰り道で優しく理由を尋ねてみました。

    「なんでお父さんのお迎えじゃ嫌なの?」と。

    小さな口から返ってきたのは、私の胸を鋭くえぐる言葉でした。

    「お父さんがハゲてるって、周りの友達から言われるのが嫌だから……」

    親としての絶望、そして「本物」を探す執念へ

    頭が真っ白になりました。

    言葉が出ませんでした。

    正直、ショックなんて言葉では言い表せないほどの絶望でした。

    自分のことであれば、30年間ずっと耐えてきたのでいくらでも我慢できました。

    坊主頭も見慣れていました。

    しかし、「自分がハゲているせいで、何の罪もない愛する息子が、保育園で友達からからかわれ、肩身の狭い思いをして傷ついている」

    という事実を知った時、親として情けなさと申し訳なさで、目の前が暗くなるような絶望感を味わいました。

    一時は「なんでそんなことを言うんだ」と、理不尽な現実にヤケになりそうな瞬間もありました。

    しかし、そこで私の30年間のコンプレックスが、別の巨大なエネルギーに変わったのです。

    「自分のせいで、これ以上子供に悲しい思いはさせられない。格好悪いパパのままで終わってたまるか」

    中学生の時からずっと「ハゲは治らない」「遺伝だから仕方ない」と諦めていましたが、この日を境に、私は「慰め気休めの育毛剤」ではなく、

    「本当に、科学的に髪が生える本物の薬はないのか」を、執念深く探し始めることになったのです。

    次回、第3章へ続く。

    第3章はこちら

  • 第1章:中学生からの30年の苦悩、サクセス、床屋でのトラウマ、丸坊主、セルフカットの歴史。

    第1章:中学生からの30年の苦悩、サクセス、床屋でのトラウマ、丸坊主、セルフカットの歴史。

    ■ 1. 中学生からの30年間。私の人生は常に「薄毛のコンプレックス」と共にあった

    私の薄毛の悩みは、50歳になった現在から今を遡ること30年以上前、「中学生」の時に始まりました。

    始まりは、同級生の女の子に言われた「サクセス」の一言。

    それまで「おかっぱ頭」だった私は、中学生になったタイミングで髪型をスポーツ刈りに変えました。

    その時、同級生の女の子からからかい半分で言われた言葉が、今でも耳に残っています。

    「サクセス!」

    当時流行っていた育毛剤のCMをもじって、彼女は私の頭をくしゃくしゃと触ってきました。

    中学生の当時はまだ遊び半分で受け流していましたが、年齢を重ねるにつれ、「あの時の言葉はそういう意味(すでに薄かった)だったのか……」と、胸に深く突き刺さる呪いのような言葉に変わっていきました。

    私の父親はいわゆる「ハゲ」でした。

    遺伝の恐怖もあり、この日を境に、私は自分の頭頂部や生え際を少しずつ意識せざるを得なくなっていったのです。

    追い打ちをかけた、床屋での「良かれと思った大人の残酷さ」

    さらに私を追い詰めたのは、当時通っていた床屋での出来事でした。

    カットが終わり、最後に理容師のおじさんが良かれと思って私の頭に吹き付けたもの。

    それが、まさにあの「育毛剤」でした。

    頭皮に染み渡る特有の清涼感と香りが、中学生の私にはあまりにも残酷でした。

    「大人から見ても、俺の頭はもうそういう風(ハゲ)に見えているんだ……」

    店を出た後、周囲に育毛剤の匂いが漂っている気がして、恥ずかしさとショックで押しつぶされそうになったのを今でも鮮明に覚えています。

    兄の髪をカットした時に知った、圧倒的な「髪の質の差」

    コンプレックスが決定的なものになったのは、身近な存在である「兄」との比較でした。

    あきらかに兄に比べて、自分の方が髪の分け目が目立つ。

    当時、私はよく兄の髪をカットしてあげていたのですが、ハサミを入れるたびに絶望的な違いを肌で感じていました。

    兄の髪には、圧倒的な「張り(ハリ)」とボリュームがある。それに比べて、自分の髪のなんと細く、頼りないことか。

    他人の髪をこの手で触ったからこそ分かってしまった「決定的な質の差」は、十代の私に深い影を落としました。

    整髪料で固める日々、そして大学4年生での「丸坊主」という選択

    中学3年生の頃には、髪の毛がナチュラルな(何もしていない)状態であることに強い嫌悪感を抱くようになっていました。

    風が吹いて髪が乱れれば、すぐに薄さが露呈してしまう。

    だから、毎日整髪料でカチカチに固めてごまかすしかありませんでした。

    それから大学3年生になるまで、私は髪を長く伸ばすことを一切やめ、とにかく短髪で過ごしました。

    しかし、ごまかしにも限界が訪れます。

    大学4年生の時、私はついに覚悟を決めて「丸坊主」にしました。

    薄毛が目立つくらいなら、いっそすべて無くしてしまおう。

    それは諦めでもあり、自分なりの必死の抵抗でもありました。

    「美容院に一度も行ったことがない」人生へ

    中学生の時のあの床屋でのトラウマもあり、私は高校生からお店に行って髪を切ってもらうことすら完全にやめました。

    鏡の前で他人に髪を触られ、薄毛を直視され、値踏みされるようなあの空間が苦痛で仕方がなかったのです。

    自分でバリカンとハサミを買い、自分の頭は自分で刈る。

    この習慣は、50歳になった現在も続いています。

    そのため、私は人生で一度も「美容院」という場所に行ったことがありません。

    そんな、丸坊主でごまかし、自分でバリカンを握り続けて30年以上。

    深いコンプレックスの塊だった私が、40代半ばにして「ある事件」をきっかけに、ついに本気で病院での投薬治療へと動くことになります――。

    第2章はこちら